映画「インターステラー」とキリスト教

この記事は映画「インターステラー」についてのネタバレを含みます。

 

インターステラー」とは

映画「ダークナイト」、「インセプション」や「メメント」で有名なクリストファー・ノーラン監督が監督した映画です。

 

マシュー・マコノヒー演じる主人公クーパーが、人類が食糧難で滅びる前に移住できる星を探すというストーリーです。

 

主人公クーパーは

いちかばちか

息子と娘を地球に置いて宇宙へ行きますが、

 

出かけた先の宇宙では

時間の進み方が違うために

クーパーにとってのわずかな時間が

地球の子供達にはとても長い年月

になってしまい、

地球で待つ子供達にとっては

物凄く長い時間待たされているという感覚になってしまいます。

 

息子のトムは待ちくたびれ、

父の帰りを諦めてしまいますが、

娘のマーフィーは

父の帰りを信じ続けます。

 

私はこの、

クーパーの二人の子供が対比されている事に 

キリストの再臨を待ちくたびれて

信仰を失ってしまう人と

キリストの再臨を待ち続ける人の対比を見ました。

 

 キリストの再臨とは

簡単に言うと、イエス・キリストというのは2千年前に

この世界にいた人(であり神)なのですが、

もう一度来て、信じる人々を救ってくださるという教えです。

 

イエス・キリストを信じた人は救われると言いますが、

厳密に言うならば、

このキリストの再臨の時に

死んでいた人も復活させてもらうということなのです。

 

今の人生で持っている身体ではなく、

復活の身体という新しい身体で

復活させてもらえるということなのです。

 

興味深いことに、

この映画に登場する人類移住計画は

「ラザロ計画」と名付けられています。

 

ラザロというのは新約聖書

 

キリストが復活させた人の名前なのです。

 

この映画が「救済」や

「復活」という

キリスト教的なテーマを扱っていると私が言うのも

こじつけではないと思うのです。

 

インターステラー」の主人公クーパーは

地球に残された人類が生き残れるように

新しい住処を探しに行きます。

 

キリスト教において

イエス・キリスト

信じる人々に

新しい住処(神の国)を準備しに行く

のと同じです。

 

クーパーは息子と娘に必ず帰ると約束します。

 

キリストも信じる者たちに必ずまた来ると約束したのと

同じです。

 

映画「インターステラー」では

父クーパーが人類救済に必要な方法を

娘のマーフィーに教えることで

全人類を救います。

 

これは父なる神の意志を実行する

子なる神キリスト、

また、キリストの意志を実行する

キリスト教徒達に重なって見えました。

 

クリストファー・ノーランが作る映画は一見、

論理的で、神について語っていないように見えますが、

以外とストーリーの中に、

キリスト教的な事が描かれているように感じました。

とくに息子と娘が父親の帰りを待つ
正反対の態度の対比にそう感じました。

 

論理を優先しているはずの、

アン・ハサウェイ演じるアメリアが突然、

「愛」が大事なのだと言い始める展開も

キリスト教信仰的な視点で見ると

唐突というよりも、納得が行ってしまうのです。

 

神に対して反逆した罪深い人間どもを

神が罰するのは当然という論理を超えて、

神が人となって、人類の罪の身代わりになるという

論理を超えた「愛」を実行したというのが、

キリスト教の教えだからです。