ネタバレあり スター・ウォーズ 最後のジェダイ キリスト教との関連性 その1

この記事は映画「スター・ウォーズ 最後のジェダイ」、そして、スター・ウォーズの過去作に関するネタバレを含みます。

はじめに
既に、この映画に関する映画批評は他の方々によって沢山アップされているので、この記事では「最後のジェダイ」に登場するキリスト教的なシンボリズムに注目したいと思います。

スケリッグ・マイケルというロケ地
まず、この映画でルーク・スカイウォーカーが隠れ住んでいた島はアイルランドスケリッグ・マイケルという島をロケ地にしており、この島には今は使われていない修道院があります。
修道院とはキリスト教に熱心な人々が禁欲的な宗教生活をする場所のことです。俗世間と自分を切り離し、結婚をせず、質素な生活を送り、祈りと労働に集中する場所です。
映画の中でルークは俗世間と自分を切り離し、(この映画で知りうる限りでは)結婚せず、質素な生活を送っていた。仙人みたいな生活をしていたという意味でピッタリなロケ地ですね。
修道女のような服装をした宇宙人ラナイが島の建物を管理している様子までもが描かれています。
ラナイが掃除している小屋みたいな建物は蜂の巣修道院と呼ばれ、実際に昔、修道院として使われていた建物です。

ルークが否定する、ジェダイのやり方
ルークは映画の中盤でレイにジェダイの歴史を説明し、ジェダイの行き過ぎた禁欲主義がむしろ悪の温床になり、アナキンをダースベイダーにしてしまった。だからジェダイは終わらせるべきなのだと説明します。
ジェダイの訓練とは小さな男の子の時代からジェダイ寺院で預かり訓練するというものでした。 このシステムはカトリックの、修道院の仕組みと同じです。
後のダースベイダーになるアナキンも恋愛禁止の掟を破ってパドメと恋に落ち、隠れて結婚し、パドメが出産で死ぬ予知夢を見たために、死者をもよみがえらせることができるとパルパティーンが(嘘か本当かは別として)誘ったので、パドメを救いたい一心で、それが動機となってフォースの暗黒面に心惹かれるのです。行き過ぎた禁欲主義がむしろ悪の温床になることを体現したのがアナキンだったというわけです。
これはエピソード1から3の中ですでに描かれて来た内容であり、この映画で始めてその話題に触れたわけではありません。ですから私はこのシーンでルークが語っているセリフがカトリックを批判する目的で書かれたものとは思っていません。また仮に、カトリックの組織を批判していても、キリスト教の教えそのものを否定しているわけでは無いことはこの後で説明します内容や、映画全体を見ればわかります。
むしろ、英語圏において、カトリックとは人々にとって最も身近な宗教なのです。信じていなくても社会の一部なのです。だから、「修道院ってこういうところ」というイメージが確立されているので、ジェダイ修道院っぽく描くと、映画を見ている人にあまりたくさんのことを説明しなくても、ジェダイって修道院っぽい生活してる人々なのねとすぐに納得してイメージできるのです。また修道院に関するネガティブな報道も、日本人にとっては大して印象に残らなくても、英語圏の人々にとっては身近な問題なのです。
この映画の面白いところはエピソード1から3の中でジョージ・ルーカスが描いてきたジェダイのネガティブな面を修道院に重ねて描いてきた事を、最後のジェダイを監督したライアンがちゃんと分かってましたよと言わんばかりに、総括してルークに喋らせた事です。
世間では、とくに映画好きの間ではジョージ・ルーカスが監督し脚本を書いたエピソード1から3は一番昔に制作された4から6よりも出来が悪い映画だと評されています。しかし、ライアン・ジョンソンの、ルークに喋らせているセリフはエピソード1から3でルーカスがやりたかったことをきちんと評価しているのが面白いところです。

ローズのセリフ
最後の方の、惑星クレイトで、ファースト・オーダーがレジスタンスの要塞の大きな扉を壊そうと、スター・キラー(エピソード7版のデス・スター)のミニサイズの武器を発射している最中に飛び込んで自爆攻撃しようとしたフィンをローズが邪魔して、フィンを救いました。フィンが「なぜ、あんなことをしたのか」と問いただすとローズはフィンに「バカね。私はあなたを助けたのよ。私達の勝ち方は敵をやっつけることじゃなくて、愛する人を守ることなの」みたいなことを言います。
これは、世間でも有名なイエス・キリスト自身の言葉、「敵をも愛しなさい」、「悪いものに手向ってはいけません」、「右の頬を打たれたら左の頬も出しなさい」や「あなたがたは互いに愛し合いなさい」など、愛を説く、キリスト自身の名言を総括し、思い出させるようなセリフです。

クライマックスにおけるルークの服装がまるで神父
最後にカイロと対決するルークの服装はまるで神父のようです。

レジスタンスの要塞内はまるで教会堂のよう
レジスタンスの要塞の中は暗く、スタンドに取り付けられたライトが沢山立っていますが、それが十字架みたいに白く光っています。これは敢えてカトリックの教会堂内のようにしているのでしょう。

ルークとカイロの対決で、ルークの後ろに十字架
そして、ルークがレイアと会話をした後すぐにカイロと戦うために要塞の外に出ますが、ルークの胸から上が映るショットでも、画面の向かって右側、ルークの左後ろに配管が映っていて、それも都合よく十字架のように見えます。

ポー・ダメロンのセリフが、ルークをさらにキリストらしくする
ルークが教会堂のような要塞の中に立つ姿、レジスタンスの人々が見守る中、一人で軍隊に立ち向かうために歩いていく姿、そして、神父のような姿で、十字架に見立てた配管をバックに立つ姿、それらが、この後ルークは自分を犠牲にして、人々を救う、イエス・キリストのような事をするのだと前もって見ている観客(特に英語圏の、キリスト教について知っている観客)に思わせ、期待感を煽ります。
ルークがファースト・オーダーからの集中砲火を受けているのを見て、フィンが、「助けなきゃ」と言って飛び出して行こうとしますが、ポー・ダメロンがそれを制し、ルークには何か考えがあるんだ。彼は僕たちが生きのびることが出来るように、敵の目を自分に向けているのだ的な事を言います。
字幕ではわかりづらいですが、英語ではポーのセリフはHe is doing this so that we can liveのようなセリフだったと記憶しています。
敵の目を自分に向けている間に、他の人を逃すという行動と構図は今ではエピソード4「新たなる希望」と呼ばれているスターウォーズ第1作でオビワンがとった行動の繰り返しですが、
そのことを説明するポーのセリフがわざわざ、so that we can live、(日本語訳すると「私達が生きることが出来るために」)とされているのは、キリスト教をよく知っている人ならば、キリストが人々を代表して身代わりとして死んでくれたから、信じる人々は死ななくて済む、つまり「生きることができる」というキリスト教の教えを思い出させます。
カイロレンと対決するために外に出たルークの後ろの配管が十字架に見えるだなんて考え過ぎかもと思っていた観客も、このセリフを聞いて、最後に念を押されるわけです。
「ああ、ルークは『スター・ウォーズ
最後のジェダイ』という映画の中でキリスト的な自己犠牲のヒーローとなったのだな」と観客は理解するのです。

終わりに
この記事では「最後のジェダイ」に登場するキリスト教的なシンボリズムに注目して紹介してきました。スター・ウォーズにはキリスト教に限らずさまざまな宗教の象徴や引用が登場します。そういう要素を探しながら見るのも、スター・ウォーズの楽しみ方の一つですよね。この記事が皆さんの役に立てば幸いです。